The 30th Chunichi Cup Memorial Gallery
私が初めて行った大会が、 この1985年中日カップ ちなみに席は「おまかせ」で、 段違いの前であった 印象に残っているのは、 ストヤノワの美貌(何度も書くが^^;)と、 ポロコワの笑顔(これも^^;) そして具志堅の引退記念演技 ---吊り輪でしたね〜
う〜、これは… 涙無しには語れない1986年 ユルチェンコの引退が 私にとってはすべてだったなぁ… あの日名古屋駅前で見上げた 森永の地球儀も、今は、もうない
「輝ける少女たちの大会」 個人的に、この1987年は、 過去の中日の中でも一番だったと思う ドブレ、テュムラー、グロワ、クチ… その後、必ずしも幸せいっぱいではなかったけれど、 彼女たちは、あの時本当に輝いていた!! ご覧の通り、 チケット、それに大会ポスターは、 前年の女子個人総合優勝者、 というのが不文律(?)で、 この回は特別 ちなみに前年の優勝者は、 許叶梅(Yemei Xu:CHN)で、 涙を流して喜んでいたのが、 印象的だった
この券は使っていないため、半券が残っている 今となっては伝説の、「満員御礼」で 前売りを確保できたのは一日目だけだったが、行けず 二日目は 心優しき役員の方に招待券の残りを分けていただき なんとか自由席にもぐりこんだ次第 メンバーはボギ、イワノワ、クチ、シリバシュ、ドブレ… で、前年ぐらいの環境なら 同じぐらい素晴らしい印象だったかも知れないが… いかんせん、落ち着いて観戦する雰囲気では… ちなみにシリバシュが、空前絶後の 個人総合・種目別の完全制覇をした大会だが ボギンスカヤが、次世代女王へと 飛躍する時期でもあり ゆかではイワノワを含めて三人が優勝を分けた
この年はワールドカップの予選シリーズ で、二日間で個人総合を戦う …個人的には、二回見られる演技が、 半分になった、という感じで、ちょっと(苦笑) おまけに入場料も大幅アップ、 一階席は大幅縮小、と、 いささか辛い部分のあった回 ただし、出場メンバーは素晴らしく、 カリーニナ、グロシコワ、ラショーノワ、 シリバシュ、ボンタシュ、ピーバに マヴロディエバ、ウェルゴス、ダウブナー、等々、 全ての欠点を補って余りあるものだった あと、忘れてならないのは、 1989年11月といえば、世界の激変期、 ベルリンの壁が崩れた直後の大会だった事で、 目の前で マヴロディエバが遊んでいるのを見ながら、 中日新聞の国際面に目を落とすと、 「ブルガリアで×万人デモ」… あの不思議な感覚が、今となってはなつかしい
「女王になったボギンスカヤの大会」 リセンコ、オノディもいたが 何と言っても主役はボギンスカヤ そして、実に5年ぶりの来日のポロコワが 私にとっての1990年 20歳になったポロコワの 変わらない笑顔が、何より、何よりであった(^^) ちなみに一階北のGHJというあたり 平均台正面の席で、例年一番混んでいたが… 当日券で、こんな席があっていいのか?
愛知県体育館・最後の中日カップ ボギンスカヤは故障で、本調子ではなく、 主役はオノディに ミロソピッチが中日デビュー しかし、この時、 まだ彼女のその後を予測した人は少なかったろう あと、この大会では、 体操選手としては最初で最後の来日だった バルトワも、落とせないところ(笑) 聖地・愛知県体育館も、最後はやや難… 一階席は北側の半分しかなく、 平均台は南側に移って、見にくい見にくい(苦笑) まあ限界かな…という感じではあった ところで開始時間が異様に早かったのは、なぜ? # 某テレビ局の陰謀、という説もありますが(^^;
会場を、現在のレインボーホールに移しての1992年 席番が基本的に変わっていないのに(苦笑) そのレインボー、広いだけに、 空席が目立ちすぎる感じで、何とも… ピスクンはかーいいし、ストフチャタヤもなかなかだし ミロのショートは…ちょっと(笑) あと、ボンタシュ、最後の中日であった そして、池谷の引退演技が実施された あのブームを知る私としては、時の流れを感じた次第