冷たい雨が降っている
1990 Yokohama Int'l Women's Ekiden

(Feb.25,1990 Yokohama Stadium/Start & Goal)


私にとって、陸上競技観戦初の遠征となった大会である。

経済的には恵まれない時期で、往路は必然的に「青春18きっぷ」----372Mであった。普段はこの列車でも、さすがにグリーン利用だったが…。

寝苦しい一夜を明かさぬうちに、午前3時台の小田原で下車。
始発電車で茅ヶ崎へ行き、電化工事で区間運休の相模線の様子をうかがう。

しかるのち、伊勢原から大山ケーブルへ。
バス停から駅までがしんどかったことと、あいにくの曇り空とで、
ここの印象はどうにもよろしくない。

で、すぐに折り返して、海老名から相鉄本線の急行で横浜へ。
そしてもちろん、根岸線で関内へ、と。

先頭はレギナ=チスチャコワ(URS)
横浜スタジアムの第一印象も、決して良くなかった。
前の方を「関係者各位様御席」が占めている会場は、嫌いだ。

で、あいにくの雨模様ではあるが、路上へ。

どこにしよーか、と思ったあげく、選んだのは、本牧「ブタのしっぽ」区間。
5区のループ部分であり、同じ選手を2度見ることのできるところ。

しかし、雨はますます激しくなり、
「傘も持たずに豪雨の本牧路上」ってのは、いくら何でも過激であった。


日本の真木和が先頭で通過(写真なし)。続いてソロキフスカヤ(URS:8-5)
どことなく様子がおかしかったのだが、その理由を知ったのは帰宅後であった。


混成チームのポズニャコワは、この時ソロキフスカヤを上回るタイム。
何とも皮肉な結果であった。

で、結果は日本の、この大会初優勝(!)だったのだが…。

ちなみに私はこの後、東京まで出て0系「ひかり」で帰阪。
心身ともに、やたらと疲れた大会だった。



ソロキフスカヤの事件については、
当時の新聞等にも写真入りで報じられたりしたので、ご記憶の方もあろう。
(今さらであるが、あんな写真を掲載する神経も、どうかと思った)
駅伝には「付き物」とさえいわれる、リレーミスだったわけだが、
結果的にはこれが優勝を左右することになった。

この事件、一応の結論としては、
定められた手順での情報伝達は行われていた、との事だった。
…でもやっぱり、本人に分かるような情報伝達ができないようでは、ちょっと。

あの雨は、ナターシャ=ソロキフスカヤの涙雨だったのか、などと思いつつ。